日本の鬼といえば
日本の鬼といえば、頭に二本、もしくは一本の角が生え、頭髪は細かくちぢれ、口に牙が生え、指に鋭い爪があり、虎の皮のふんどしや腰布をつけていて、表面に突起のある金棒を持った大男の姿を想像すると思います。
また、子供の頃に見た絵やアニメーションで一般的に描かれる鬼は、色は赤青黒などさまざまで「赤鬼」「青鬼」「黒鬼」などと呼ばれ、「強い」「悪い」「怖い」というイメージから悪者の代表のように扱われていました。
『鬼』といっても色分けされた鬼ばかりではなく、多種多様な鬼が伝説として日本各地に残っています。
ここでは それらの『鬼』を紹介していこうと思います。
鬼の種類
酒呑童子(しゅてんどうじ)
最強の鬼「酒呑童子」
平安時代に京都の都付近で暴れていた、最強の鬼と称される酒呑童子。丹波の国の端にある大江山に棲み着き、身長は6m、角は5本あり目が15ある姿をしていると伝えられています。
酒を好み、人をさらっては喰う悪鬼でしたが、最後、毒を盛られた酒を飲まされて坂田金時や源頼光らに斬り殺されます。
茨木童子(いばらきどうじ)
羅生門の鬼伝説
平氏が権勢を誇っていた頃、京の都の朱雀大路の南の端 “羅生門” には,人々に悪さを働く悪鬼・茨木童子が住み着いていました。
勇猛豪胆で知られる侍の渡辺綱(頼光四天王が一人)は、ある夜一人でこの羅生門へ出かけ、茨木童子に戦いを挑み、その右腕を切り落としました。茨木童子は切り落とされた腕をその場に置きざりにしたまま、命からがら逃げ出しました。
茨木童子が京の都を離れ、みちのく(東北地方)へ逃亡したので、渡辺綱は10人の家来を引き連れてそれを追います。
そして、村田の姥ヶ懐(宮城県)にて茨木童子と対峙。
しかし、綱の叔母に化けた茨木童子にまんまとだまされ、石の長持ちの中にあった右腕を取り返されて逃げられてしまいました。
八瀬童子(やせどうじ、やせのどうじ、はせどうじ)
山城国愛宕郡小野郷八瀬庄(現在の京都府京都市左京区八瀬)に住み、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めた村落共同体の人々を指す。
室町時代以降は天皇の臨時の駕輿丁も務めた。
伝説では最澄(伝教大師)が使役した鬼の子孫とされる。寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆる大童であり、履物も草履をはいた子供のような姿であったため童子と呼ばれた。
鬼一口(おにひとくち)
平安時代初期の歌物語『伊勢物語』。
ある男が何年も女のもとへ通い続けていたが、身分の違いからなかなか結ばれることができなかった。あるとき、男はついにその女を盗み出したが、逃走の途中で夜が更けた上に雷雨に見舞われたために、戸締りのない蔵を見つけて女を中へ入れ、自分は弓矢を手にして蔵の前で番をして、夜明けを待った。やがて夜が明けて蔵の中を覗き見ると、女の姿はどこにもなかった。女はその蔵の中に住んでいた鬼に一口で食い殺され、死に際に上げた悲鳴も雷鳴にかき消されてしまったのである。
鳥山石燕は妖怪画集『今昔百鬼拾遺』に『鬼一口』と題してこの話を描いており、解説文では男は在原業平、女は藤原高子としているが、実際には『伊勢物語』には男女の名は明記されておらず、これを在原業平らの物語と見なすのは俗解とされている。
天邪鬼(あまのじゃく)
仏教では人間の煩悩を表す象徴として、四天王や執金剛神に踏みつけられている悪鬼。
日本古来の天邪鬼は、記紀にある天稚彦(アメノワカヒコ)や女神天探女(アメノサグメ)に由来する。天稚彦は葦原中国を平定するために天照大神によって遣わされたが、務めを忘れて大国主神の娘を妻として8年も経って戻らなかった。そこで次に雉名鳴女を使者として天稚彦の下へ遣わすが、天稚彦は仕えていた天探女から告げられて雉名鳴女を矢で射殺する。しかし、その矢が天から射返され、天稚彦自身も死んでしまう。
天探女はその名が表すように、天の動きや未来、人の心などを探ることができる存在とされており、この説話が後に、人の心を読み取って反対に悪戯をしかける小鬼へと変化していった。本来、天探女は悪者ではなかったが天稚彦に告げ口をしたということから、天の邪魔をする鬼、つまり天邪鬼となったと言われる。
鎌倉時代の説話集『古今著聞集』などに登場する鬼。
『古今著聞集』には以下のように記述されている。酒呑童子討伐で知られる武将・源頼光が弟・源頼信の家へ行ったとき、厠に鬼童丸が捕えられていた。頼光は、無用心だから鎖でしっかり縛っておくようにと頼信に言い、その晩は頼信の家に泊まった。鬼童丸は縛めの鎖をたやすく引きちぎり、頼光を怨んで彼の寝床を覗いて様子を窺った。頼光はこれに気づき、従者たちに「明日は鞍馬に参詣する」と言った。そこで鬼童丸は鞍馬に先回りし、市原野で放し飼いの1頭の牛を殺して体内に隠れ、頼光を待ち受けた。しかし頼光はこれをも見抜き、頼光の命を受けた渡辺綱が弓矢で牛を射抜いた。牛の中から鬼童丸が現れて頼光に斬りかかってきたが、頼光が一刀のもとに鬼童丸を斬り捨てたという。鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』には「鬼童」と題し、鬼童丸が雪の中で牛の皮をかぶり、市原野で頼光を待ち受ける姿が描かれている。
目一鬼(まひとつおに)
『出雲国風土記』大原郡阿用郷の条(郷名由来譚)に登場する一つ目人食いの鬼。
後述する『阿用郷の鬼』のこと。
牛鬼(うしおに、ぎゅうき)
西日本に伝わる妖怪。主に海岸に現れ、浜辺を歩く人間を襲うとされている。
非常に残忍・獰猛な性格で、毒を吐き、人を食い殺すことを好む。
伝承では、頭が牛で首から下は鬼の胴体を持つ。または、その逆に頭が鬼で、胴体は牛の場合もある。また、山間部の寺院の門前に、牛の首に人の着物姿で頻繁に現れたり、牛の首、鬼の体に昆虫の羽を持ち、空から飛来したとの伝承もある。
海岸の他、山間部、森や林の中、川、沼、湖にも現れるとされる。特に淵に現れることが多く、近畿地方や四国にはこの伝承が伺える「牛鬼淵」・「牛鬼滝」という地名が多く残っている。
牛頭 (ごず)
仏教において地獄にいるとされる亡者達を責め苛む獄卒で、牛の頭に体は人身の姿をした鬼。
馬頭 (めず)
仏教において地獄にいるとされる亡者達を責め苛む獄卒で、馬の頭に体は人身の姿をした鬼。
紅葉(もみじ)
紅葉伝説(もみじでんせつ)は、長野県の戸隠(とがくし)、鬼無里(きなさ・現、長野県長野市)、別所温泉などに伝わる鬼女にまつわる伝説。平維茂(たいら の これもち)が鬼女・紅葉(もみじ)と戦い、討ち捕る話である。
熊童子(くまどうじ)
酒呑童子の配下で四天王の鬼の1人。
青鬼。
酒呑童子の配下は茨木童子がおり、そして四天王として星熊童子、熊童子、虎熊童子、金童子の四人の鬼がいる。
虎熊童子(とらくまどうじ)
酒呑童子の配下で四天王の鬼の1人。
白鬼。
酒呑童子の配下は茨木童子がおり、そして四天王として星熊童子、熊童子、虎熊童子、金童子の四人の鬼がいる。
星熊童子(ほしくまどうじ)
酒呑童子の配下で四天王の鬼の1人。
肌色の鬼。
酒呑童子の配下は茨木童子がおり、そして四天王として星熊童子、熊童子、虎熊童子、金童子の四人の鬼がいる。
金熊童子(かねくまどうじ)
酒呑童子の配下で四天王の鬼の1人。
赤鬼。
酒呑童子の配下は茨木童子がおり、そして四天王として星熊童子、熊童子、虎熊童子、金童子の四人の鬼がいる。
羅城門の鬼(らしょうもんのおに)
平安京の正門・羅城門に巣食っていたといわれる鬼。
源頼光が酒呑童子を討伐した後、自分の屋敷で頼光四天王と平井保昌とともに宴を催していたところ、平井(または四天王の1人・卜部季武)が、羅城門に鬼がいると言い出した。
四天王の1人・渡辺綱は、王地の総門に鬼が住む謂れはないと言い、確かめるために鎧兜と先祖伝来の太刀で武装して馬に乗り、従者も従えずに1人で羅城門へ向かった。
九条通に出て羅城門が正面に見えてきた頃、急に激しい風に見舞われ、馬が動かなくなった。綱が馬から降りて羅城門へ向かうと、背後から現れた鬼に兜をつかまれた。すかさず綱が太刀で斬りつけたが、逆に兜を奪われた。綱の太刀と鬼の鉄杖が激しくぶつかり合った末、綱はついに鬼の片腕を斬り落とした。鬼は「時節を待ちて、取り返すべし」と叫んで、空を覆う黒雲の彼方へ消えて行ったという。
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